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2007年2月21日 (水)

父のこと・母のこと

今回の帰省についてはExite Blogの方に書きましたが、こちらには父の様態についてお話しさせていただこうと思います(以下、異様に長文です)。

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正直、今回の帰省は気が重かった。

「父が階段から2回も落ちて、ますます歩けなくなった」
「介護認定をして貰い、今、2級になっている」
「ヘルパーさんに来て貰い、車いすで病院へ通っている」
母から電話を貰う度、悪い話ばかり聞いていたような気がする。

私が知っている父は。
とにかく短気で気が早く、駅までひとりで歩いて行ってしまい、後からやってきた家族に「グズグズするな!」と怒鳴るような人だったから。

歳をとれば、誰でも身体が弱くなるし、何となく気弱になるものだと思っていたけど。
力なく車いすに座っている父の姿は、はっきり言って見たくなかった。
だから、実家へ辿り着くのが怖かった。

「ただいまー」
私が帰り着いたとき、父は1階の居間で布団に入って寝ていた。

自分の荷物を持って、トントンと2階へ上がると、そこに母の姿があった。
「すぐにトイレ汚しちゃって、後片付けが大変。オシメさせていてもダメなのよ」
「最近はずっと寝てるのよ」
相変わらず愚痴は多いものの、元気そうな母の姿に少しホッとした。

台所へ戻って、母とお茶を飲んでいると、ノソリと父が起きてきた。
「あ、ただいま。帰ったよ」
「…」
私の顔を覗き込むようにしたまま、無言の父。そんな父の姿に、そこはかとなく不安を感じた。
大阪のお土産を広げながら『父は私が今、大阪にいることを覚えているんだろうか』そんなことまで考えた。
母から、父が「Kyaoはもう風呂に入ったのか?」なんて言っていることがあると聞いてしまったから。

冗談半分に、母が「Tさん(私の旦那)のこと、覚えてる?」と聞いた。
私は正直、どんな言葉が父の口から飛び出すのか、すごく不安だった。
でも、父の口からは「知ってるよ。大阪の人だろう?」という言葉が返ってきた。
半分、ホッとしたものの、もう半分はどこまで覚えていてくれているのか、不安になった。
旦那を連れて帰省したとき、父が旦那に「あんた、誰だ?」などと言ったりしたら、たとえそれが病気のせいだと分かっていても、やっぱり言われた側は寂しいだろうから。

そんな私の思惑と関係なく、東京での時間はどんどん過ぎていった。

父の口数はめっきり少なくなっていた。
ただ、私がTVに向かって突っ込んでいると(笑)、テーブルの向こうでも父が同じように文句を言っていることがあり、そのときはやはり嬉しかった。

不思議なことに、私がいる間は、母が言うほどに父の様態は悪くないように思えた。

もちろん。
以前のようにトイレを汚してしまったり。
病院へ行く日でもないのに出掛ける用意をしてみたり。
すでに飲んでしまった薬をまた飲もうとしてみたりと言うことは何度かあった。

足腰の衰えは以前にも増してひどく、普通に立っていられずにヨロヨロしたり、尻餅をつくと言うこともよく見かけた。

ただ、変なことを口走ったり、訳の分からない話をすると言うことはほとんどなかったように思える。

気になったのは、逆に母の方だった。

以前は自分が追い立てられる方だった母が、今は父を追い立てている。

そうでなくとも、以前から母には「自分が出来ることが、人に出来ないはずはない」「自分が出来ないことは、人にも出来なくて当たり前」のように思うところがあって、特に思春期の頃の私はずっと母を嫌っていた。

なので、父がなかなか動こうとしないことや、やれと言ったことが出来ずにいることに、父ばかりでなく、母は大きなストレスを感じているようだった。

ある書類に、父自身がサインしなければならなかったとき、母は父の手を持って自分で書いてしまおうとした。
父が自分で書こうとする意志がないのであればともかく、今は父が自分で文字を書こうとしているのに、だ。
当然、父は母に対して怒る。だが母はなかなか字が書けない父を見てイライラする。
側で見てハラハラしてしまった私は「お父さんが自分で書かなきゃ意味ないし、自分で書こうとしているんだから、自分で書かせようよ」と言って、父がゆっくりボールペンを動かすのを見ていた。

父の着替えをさせるときも、母はなかなか腕を伸ばそうとしない父に「こっちへ腕伸ばしなさいよ!」と半ばかんしゃくを起こしているようだった。
そのとき。
母自身は意識していないのだろうが、母はなにげに父の腕を(あくまで軽くだが)叩いていたことに私は気が付いた。

自分が年老いてからの介護生活は、介護されている父にも、行なっている母にも大きなストレスを与えていることを実感した。

介護というと大げさだが、実家で母がしていることは、私が大阪で旦那と生活しているときには、日常行なっていることと余り変わらない。
だから、その意味でも、私は父に余りイライラせずに接することが出来た。

だが、30代でそう言うことを知った人間と、70になろうとするときにそんなことを始めなくてはならなくなった人間とでは、身体的にも精神的にも大きな違いがあるのだろうと思った。

大阪に帰ってきてから、私は旦那と相談をした。

今以上に母に負担が掛かるなら、私だけでも東京に帰った方が良いと思ったこと。
そのときは、今の生活スタイルと逆に、年に数回大阪に帰るようにしようと言うこと。
東京で暮らすようになったら、都合良く執筆の仕事が来るとは思えないから、昼間の間だけでもパートかアルバイトでもしようと思っていること。

重い空気の中、お義母さんと旦那は私の意見に賛成してくれた。

きっと誰もが一度は通る路。

でも、介護や看護と言うことは、その人たちの生活を一変してしまうのだなと言うことを実感した帰省だった。

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コメント

お疲れさまでした。
色々気苦労が多いですね。心情お察しします。
前もコメント欄で触れた事がありますが私の母も認知症でした。私はその筋では専門と言われるドクターを駆けめぐった事があります。色々アドバイスをしてもらったのですが正直ほとんど教科書通りのアドバイスでした。老いて呆ける事は私にはどうすることも出来ません。しかし私も医学に携わる一人としてそれなりに現実を受け入れる覚悟もありました。でも私を産んで育ててくれた母親が子供のようになっていく姿に大きな悲しみを感じたのも事実です。
旧家の居間の扉にある拳サイズの凹み、私が後先考えずぶん殴った証です。心の中で「おふくろ、しっかりしてくれと!!」気持ちの中で爆発した感情を抑えることが出来ず母の目の前で力いっぱいぶん殴りました。その時母は驚いていました。ダメだダメだと思いながらもついつい母に対してイライラ感をさらけ出していた自分がいました。kyaoさんのお母さんの気持ちよく解ります。イライラ感の立ち振る舞い、心底にあるのは「お父さんしっかりして」だと思いますよ。

身内の痴呆の介護って半端じゃないですよね。介護の前にまず自分をどこまで抑える事が出来るか、そこでかなり神経をすり減らします。ほんと辛い現実ですね。

投稿: Peace_mac | 2007年2月21日 (水) 22時24分

peace_macさん、こんにちは。こんな長文にお付き合いくださって、本当にどうもありがとうです。

>子供のようになっていく姿
毎日、父に付き合っている母は、きっとそれを実感しているのだと思います。
父自身、サインの件では、自分の名前すら漢字で書けなくなっていたりで「情けないな…自分の名前も書けないなんて…」と呟いていました。
歳をとると赤ちゃんになるのではなく、元気だった頃と今の自分を比べて、その歯がゆさにイライラしてかんしゃくを起こしたりするのではないかと思い至りました。

>心底にあるのは…
まったく仰るとおりだと思います。ときどき母が「どうしてこうなっちゃったんだろうね…」と、別に愚痴をこぼしているわけでもなく、呟いていたのを思い出します。
父自身も今の自分に歯がゆいと思いますが、以前の父を知っている分、母も自分のイライラをどこにぶつけて良いのか分からないという歯がゆさがあると思います。
ときどき、「結婚して、大阪に行ってしまった私が悪いのか?」と自分を責めている自分もいて、私も今、精神的に少しナーバスになっているかも知れません。

>辛い現実
本当にその一言ですね。いくら辛くても、どこを頼って良いのか分からないし。そもそも頼るべきところがあるのかどうかさえ分かりません(介護サービスなんて言うけど、やって貰えることなどたかが知れているし、お金も掛かるわけですから、母の負担が大きく減るというものではないし)。
すべてを政府や自治体のせいにするつもりはありませんが、安心して歳をとっていけるような社会でないことを、最近、実感するようになりました。

投稿: kyao | 2007年2月22日 (木) 08時13分

認知症の介護って、想像以上に精神的負担が大きいんでしょうね。

うちの実家の父親が脳腫瘍で手術をしたのは以前お話しましたが、
それより数ヶ月前、父親が風邪で寝込んだ事があり、母親がどれだけ言っても父親が医者にも行かず、何もやる気がなくて布団で寝たままで、母親は今までと全く違う父親の様子にかなりイライラしたそうです。
今になって思うと脳腫瘍の影響による症状だったのですが、認知症の介護にしても同じような感じで今までその人を知っていただけに余計イライラするんでしょうか?
幸いうちの父親は手術も成功して、以前の元気な状態に戻りましたが。

両親の介護って誰でもいつかはやってくるんですよね。辛いなあ……

投稿: ありしあ | 2007年2月22日 (木) 11時55分

Arisiaさん、こんにちは。こんな長文にお付き合いくださり、どうもありがとうです。

>認知症の介護
私もそう思います。父のそれはまだまだ軽い方だと思うんですが、以前、区役所の人が認定に来たとき。
「今、何日?」
「今の季節は?」
「今日、何曜日?」
というテストをしたそうです。でも、どれもとんちんかんな答えしか出てこなかったと聞きました。
それは特別なことではなく、毎日、ほとんどの時間を寝て過ごしていたら時間的な感覚はなくなるだろうと想像できるし。
本当に認知症になってしまったら、ついさっきまで自分が何をしてきたのか分からなくなっているだろうし、突然奇声を発したり、夜中に徘徊してみたり、きっと家族や周りの者たちは一時も安心していられないのではないかと。
そう思うと、すごく怖いです。

>脳腫瘍の手術
手術も無事に終わり、リハビリも順調のようですね。本当、良かったです。(^^)
見た目、すぐに分かる病気や怪我なら周りの人間もそれなりに納得して対処するのだろうと思うのです。
でも、Arisiaさんのお父様のご病気や、私の父のような病気の場合、パッと見、病気には見えなかったりしますよね。イヤらしい話で恐縮ですが、そのために(特にこっちが苛ついているときなど)、つい、辛く当たってしまうこともあると思います。
うちの旦那も、ほとんど毎日「あっちが痛い」「こっちが痒い」の連続ですから、いつも優しく接してあげられるわけもなく、ときどき「いい加減にしろ!」と怒鳴りたくなったりします。してはいけないことだと十分に分かっているんですが…。

イヤなお話で恐縮です。m(__)m
認知症の家族を世話している人のお話を伺うと、何度となく「死んでくれ」と思うのだそうです。私や母も、ゆくゆくはそう思うようになってしまうのかと思うとゾッとします。

>辛いなあ……
本当にその一言ですよね。
決して自分が両親や家族の世話をするのがイヤでそう言うのではなく、今まで想像もつかない状況に自分が置かれてしまうことに対する恐怖のようなものだと思うんです。
病人だから、突然、何をするか分からない。目を離した隙にどうなってしまうか想像もつかない。もちろん経済的負担もあります。
そうした、「何が起こるか分からない」状況に自分が身を置かなければならないという恐怖。これがいちばんイヤです。

投稿: kyao | 2007年2月22日 (木) 14時14分

お疲れ様です。長丁場になることを考えるとお母様のストレスが心配です。
自分のブログでも書いたかもしれませんが、うちは祖母が高齢で手術をした後、わからない状態になり大変でした。行方不明になって警察にお願いしたことも何度か。
治るのならばともかく、だんだん悪くなっていくので、本当にまわりも精神的にきついです。ただ、そんな中でも、今日はわかってもらえた、あれができた、と小さな喜びを見出すことができれば、救いになるとは思います。とは言うものの、最近、うちも両方の実家の両親が不安げなことを言っているので心配です。

投稿: りんたろ | 2007年2月26日 (月) 22時01分

りんたろさん、こんにちは! レスをどうもありがとうです。
レスを拝見したところ、お婆様、とっても大変だったのですね。ご心痛、お察しします。

>小さな喜び
あ、なるほどー。たしかにそう言う部分をいくつかでも見出せれば、辛いばかりの看護生活が、ほんの少しかも知れないけど、気が楽になるかも知れません。アドバイスをどうもありがとうです。(^^)
スレの中で、父が自分の名前を書くという件がありましたが、自分の名前を長い時間掛かって書いた後、次に母の名前を書く際には、名字の部分はかなり早く書くことが出来たんです。そのときは父に「おお、早く書けてるじゃん!」みたいに言ってあげたのですが、私自身もとても嬉しかったです。
時間があれば、簡単な計算とかも父にさせたかったんですが、そう言うことと別に、こうした小さな喜びの積み重ねも大切なんだなと、りんたろさんのレスを拝見して再認識しました。どうもありがとうです。(^^)

投稿: kyao | 2007年2月27日 (火) 08時33分

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